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「怒りながら叫ぶ女」はどうして嫌われるのか 小池百合子氏と蓮舫氏には決定的な差がある

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女性リーダーにとって「適切なコミュニケーション」としてみられる範囲は男性よりも狭い。そのため、きわめて難しい(撮影:尾形 文繁)

「このハゲー!」

あの怒声がこのところ頭から離れない。6月22日、「週刊新潮」の報道により自民党の豊田真由子議員の常軌を逸した怒気と奇声が話題となったが、華麗な経歴や国会答弁などでの穏やかな話し方との「ジキルとハイド」級の乖離もあって、誰をも不快にする衝撃的な事件であった。

こんな言語道断のパワハラに対して、麻生太郎副総理兼財務相の「あれ女性ですよ女性」という発言がまたまた、彼らしく、そして、性差別的で片腹痛いのである。「男だったらありうるが、女があんなふうに怒ることに驚いた」ということなのか、発言の真意はわからないのだが、結局、「こうあるべき」という女性像から外れている、という意味にもとれる。また、自民党の河村建夫元官房長官も「あんな男の代議士はいっぱいいる」と言ってのけた。

「怒る女」は「怒る男」以上に嫌われる

今回の豊田議員の件は、男性か女性かなどまったく関係なく、許されざる事案だったが、麻生太郎氏や河村建夫氏発言から垣間見えるように、一般的に、「怒る女」は「怒る男」以上に徹底的に嫌われる。ここに女性リーダーにとって最大のコミュニケーションの関門がある。

ヒラリー・クリントンが嫌われる理由についての記事の中でも触れたが、リーダーシップには、competence(有能さ)と、warmth(温かみ)の2つの要素が必要である。この2つがバランスよく高い人が優れたリーダーということになるのだが、男性の場合、ある程度の「有能さ」が示されれば、「温かみ」についてはさほどなくても許されてしまうという側面がある。多少冷たくとも、それは冷静さや決断力と解釈され、「温かみ」がないことはさほどのマイナス要因にはならない。

一方で、女性リーダーにとって「温かみ」の欠落は死活問題になる。

5月26日マサチューセッツ州のウェルズリー大学で講演するヒラリー・クリントン氏(写真:ロイター/Brian Snyder)

クリントン氏も、有能であることは折り紙付き。ところが、「冷たい」「ヒステリック」という印象がまとわりつくようになり、これが彼女の致命的欠陥のようにみられるようになってしまった。

さらに難しいのは、女性は「温かい」だけの印象でもダメということである。

女性らしい温かみ、優しさが行き過ぎると、弱々しさ、女々しさと考えられ、「強いリーダーシップ」のイメージには結び付かなくなるからだ。

そのため、クリントン氏は、あえて強い女性像を打ち出し、有能さを前面に立てたコミュニケーションを展開し、これが「冷たい」「ヒステリック」という評価につながってしまった。

つまり、女性リーダーは「温かすぎても、冷たすぎてもダメ」というダブルバインド(二重拘束)と呼ばれる制約の中でのコミュニケーションを強いられることになる。図のように最大と最小の許容値の間が極めて狭く、どちらかにはみ出れば、「女々しい」「ヒステリック」というレッテルを貼られてしまう。

女性は「謙虚さ」を求められている?

男性リーダーがスピーチで物腰柔らかく声をかけても、それは優しさとして肯定的にとらえられるだろうが、女性リーダーであれば「弱々しい」と受け止められる。男性リーダーが大声で叫んだり、ちょっとキレたとしても、「力強い」「情熱的」「真剣」と評価されるが、女性が同じように叫べば、それは「ヒステリック」「エラそう」と受け止められる。

米国のベストセラー作家のマルコム・グラッドウェルは「人は、女性の候補者に対して、『こう見えるべき』という思い込みを持っており、それから外れるものを受け入れられない。特に、女性は謙虚さを求められており、クリントンはリーダー層の女性が持ってはならないとされる『野心』を持っていることを咎(とが)められている」と分析した。まさに男性の「情熱」と呼ばれるものは女性にとっては「野心」に代わる。

女性はあくまで、優しく、温かく、包み込むべき存在である、という社会的期待値が根強いため、「自己主張をし、自信があり、アグレッシブ」という男性特有のリーダーシップのスタイルを踏襲しようとする女性は「過度に攻撃的」「強引」と見なされる。つまり、「怒っている」ように見える閾値が圧倒的に女性のほうが低いのだ。だから、女性が声を上げて力強く訴えようとすれば、「金切り声で」「キーキーと」などと揶揄されてしまう。人は、幼少期の母親のヒステリーを想起させる、女性の感情のこもった怒声がそもそも本能的に苦手なのかもしれない。

2011年のスタンフォード大学ビジネススクールの研究によれば、男性的な力強さを時と場合によって使い分けられる女性が最も出世するのだそうだ。男性らしさと女性らしさをカメレオンのように使い分けられる女性は、男性型の(男性的志向の強い)男性の1.5倍、女性型男性の2倍、男性型の女性の3倍、女性型の女性の1.5倍の確率で出世をしたという。つまり、適度に男前な女性リーダーが最も受け入れられやすく、評価されやすいということだ。

さて、今日本を代表する女性リーダーといえば、東京都知事・小池百合子氏と民進党代表・蓮舫氏が挙げられるだろう。

共にキャスター経験者で、恵まれた容姿と歯切れのいいコミュニケーションスタイルという点は共通している。時は折しも、7月2日投開票が行われる都議選の真っ最中。「コミュニケーションオタク」としてさまざまなリーダーのプレゼンやスピーチを観察している筆者にとっては、格好の研究材料が街にあふれ返るときだ。早速、この2人の遊説を追っかけてみたが、なかなか興味深い考察が得られた。

小池氏は「戦略的コミュニケーション」に長けている

小池氏については、都知事選のコミュニケーション戦略についての記事でも触れたが、日本の政界では1、2を争うコミュ強者だろう。言葉の選び方、オーラの作り方、場のさばき方など、さまざまな工夫が凝らされ、確固たる計算に基づいて戦略的にコミュニケーションが行われていることがうかがえる。

何より、小池氏のコミュニケーションで舌を巻くのは、徹底した「感情のコントロール」である。それは、少しでも、声を荒らげたり、張り上げたり、力を入れすぎると、ヒステリックに怒って聞こえてしまうという女性特有の「罠」をよくわかっているからなのだろう。

弱すぎず(女々しすぎず)、強すぎない。そのコントロールが絶妙なのだ。そうした天才的手腕が垣間見えたのが、2016年末の会見の1コマだった。東京五輪会場の見直し問題で、「大山鳴動ネズミ一匹」ではないかという質問に対し、「ちょっと、それはたいへん失礼なんじゃないですか」と満面の笑顔で切り返したのだ。怒ったり、気分を害した顔ではなく、語気を荒らげることもなかった。あの場面で、怒りをいっさい見せることなく笑顔で切り抜けた荒技に、逆にすごみや怖さを感じるほどだった。

小池氏は会見や都議会においては、感情を抑えて受け答えすることが多いが、遊説ではかなりパワーアップし、力強い調子だ。しかし、決して「絶叫する」といったスタイルになることはない。競合相手をあからさまにディスることもなく、チクチクと突つく形なので、あまり攻撃的に聞こえることもない。適度な「男前」加減と女性らしい柔らかさが、安定感を印象づけるのだ。「やっぱり話うまいよね」。25日日曜日の昼下がり、銀座4丁目交差点で行われた遊説を聞く群衆の中からはそんな声が漏れてきた。

その20分後、同じ場所に民進党の蓮舫氏が登場した。白のジャケットに黒のパンツ。意外に小柄で華奢な印象だ。弁舌は切れ味鋭く、わかりやすい。ただ、強烈に「怒っている」。最初から最後までひたすら、怒気に満ち、あの「2番じゃダメなんですか」発言が脳裏をよぎった。まさに直球スタイルのコミュニケーションだ。きっと、これが男性なら、たとえば、共産党の志位和夫委員長なら違和感はないのかもしれない。

女性のキャリアの障壁のメタファーである「ガラスの天井」。しかし、女性リーダーは、天井が低いだけでなく、ガラスでできた高い床にも挟まれた狭い許容空間の中で、落としどころを探るしかないのが現状なのだ。女性のリーダーシップが声高に叫ばれながら、遅々として進まない背景には、こうしたコミュニケーションの「壁」があるということに気づく必要があるだろう。

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