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〇〇歳で始めるのは遅いと諦める人の言い訳 発揮できる場所を探し続けた人に才能は宿る

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選択肢を増やすのは自分自身なのです(写真:marchmeena29/iStock)

フィギュアスケートの4回転ジャンプや、100メートル走で10秒を切るタイムで走るということは、かつて「人類として無理だ」なんて言われていたことです。しかし今では、それをクリアできる選手が何人もいます。

彼らは「無理と言われているから」という理由であきらめなかった。そして、練習することで、昨日より今日、今日より明日、と上を目指し続けてきた結果ではないでしょうか。頭ごなしに「無理だ」と思って、挑戦することをやめてしまっていたら、これはありえません。「やらない理由」が立ちはだかってもあきらめ切れなかった人だけが、奇跡を起こせるのです。

4回転ジャンプも、100メートル走10秒切りも、不思議なことに、1人ができるようになると、クリアできる人がその後に次々と出てきました。

これはなぜでしょうか?

実はこれは「技術」なのです。努力して「技」を磨いてきた彼らは、できるんだ!ということがわかると、できる人を徹底的に研究して「術」を導き出し(コーチなどの指導者の力も借りて)、普通の人にとっては"ありえない目標"のクリアへと向かうことができるのです。

「できる」と思うことの意味

「できると思っていたら、いつかできる」し、「できないと思っていたら、そもそもできない」のです。

拙著『才能の正体』でも触れていますが、この説明をするときに僕がよくするのは、「卵の話」です。あなたは「この生卵を立ててください」と言われたらどうしますか?

実は、微調整すれば卵は立つんです! でも、それを知らなければ卵が立つなんて思わないでしょう。何度かトライしてできなければ、早々にやめてしまうでしょう。

しかし、"卵が立つことを知っている人"は、何回でも、立つまでトライできます。

誰かが成功すると、できる人が続出するのは、それが理由です。

フィギュアスケートの羽生結弦選手や、将棋棋士の藤井聡太七段のような、いわゆる"神童""天才"と呼ぶべき若者を見て、多くの大人たちはこう言うでしょう。

「あんなにすごい才能で活躍できる人なんて、ほんの一握りの人だけだ」と。

しかしこれは、僕に言わせれば、まったく、逆。才能を発揮する場所って、そんなに少ないものでしょうか? 自分の中にある"すべての尖り"を、一つひとつ丁寧に磨いていったら、その分だけ、選べる仕事や職業ができるはず。選択肢を増やすのは、自分自身なのです。

「席」は、今あるものだけではない。新しく作り出すこともできるのです。そもそも「仕事を選ぶ」のではなく、「仕事を創る」ことが、これからの"人生百年時代""AIやロボットの時代"に求められることです。

もし、あなたが自分の能力の"尖り"を見つけつつあるのであれば、わざわざ抑え込んで、それを丸くすることに意味なんてありません。どんどん尖らせることです。

ちなみに、自分が尖っていないところは、"そこ"が尖っている別の人が補ってくれるものなので、まんべんなくバランスよく尖ろうとする必要はありません。それよりも、尖った人と尖った人が出会って、その尖った部分と尖った部分が刺激し合って、新しいアイデアが生まれることのほうが、大きい成果が生まれます。

それに、摩擦が起きることで、自分も相手もさらに尖っていくものです。尖りのない、丸い人たちばかりの集まりには摩擦がなく、そこからエキサイティングなものは何も生まれません。

高校時代、ニュージーランドに留学していたとき、世界各地の「いちばん美しい」といわれている音楽を聴く授業がありました。

そこで僕が感じたことは、「国や文化や歴史や背景が変わるだけで、美しさの定義ってこんなに変わるんだ」ということでした。

「才能」もこれと同じだと思うのです。あなたが持っている能力は、ある人からは「そんな能力には意味がない」と言われているかもしれない。でも、それは、別の人からしたら絶賛に値するものかもしれない。

特定の人の評価だけを頼りにしてしまったり、ある一面を見ただけで信じてしまったりすると、能力や才能を正当に評価できなくなってしまいます。

アインシュタインは言っています。

「誰もが天才だ。しかし、魚の能力を木登りで測ったら、魚は一生、自分はダメだと信じて生きることになるだろう」

才能は本質的に「自分の中」にしかない

塾をやっていると、生徒さんから「塾をやめたい」と言われることがたびたびあります。

そんなときに「やめたい理由」を聞いてみると、ほとんどの場合、その理由を「人のせい」「環境のせい」にしている。いちばん多いのは「部活が忙しい」というものです。

しかし実は、「自分が成長している」ということが実感できないから、やめたくなるのです。

これはつまり、自分が成長していることが実感できていれば、必ず続けられるということ。「人のせい=他責」にしたとき、つまり「自分のせいじゃない」と言ってしまった瞬間に、才能の芽はたちまち枯れ果ててしまいます。

才能は、本質的に自分の中にあるもの。いえ"自分の中にしかないもの"。

もし、「すべてを他責にしている」「環境が原因でうまくいかないと思っている」という状況でいるとしたら、その思考から抜け出さないかぎり、才能の磨きようがありません。「誰かのせい」にしてしまっているせいで、実は、自分で自分を否定しています。他の人や環境などは、自分の力では変えようがないものです。でも、一方で、自分を変えることはいくらでもできるのです。

「〇〇歳からの□□教育」が才能を殺す

「私はもう〇〇歳なので、今からやっても遅いんだよね」

皆さんがよく言うのが、これです。

でも本当にそうでしょうか。

「英語は小さいときから習っておいたほうがいい」「脳が柔らかいうちに文字を覚えさせる」といった「○歳からの□□教育」みたいなものが"才能を殺している"と、僕は思うのです。

こうした考え癖のせいで、「〇〇歳だともう遅い」という考えになってしまいます。

誰にとっても、"今"がいちばん若い時。何かを学ぶのに「早いほうがいい」という考えを持っているのであれば、「〇〇歳になってしまったから遅い」ではなく、今すぐに学んだほうがいいに決まっています。明日は、来月は、来年は、今より確実に年を取っているわけですから。

小学生の子どもの成績が芳しくなければ「幼稚園のときからやらせておけばよかった」と言うでしょう。中学の"数学"でつまずくと「"算数"をもっとちゃんと勉強しておけばよかった」と言うでしょう。

多くの人が、何かというと「すでに差がついちゃっていることは、今からやったとしてもすでに遅い」と言うのです。

大学生になったら「高校生のときにもっと勉強すれば、いい大学へ行けた」。

社会人になったら「暇な学生のうちに、読書しておけばよかった」。

30代の人は「20代のときに資格を取っていればよかった」。

40代になると「どれだけ遅くても、30代までにはスキルを磨いておくべきだった」。

50代になると「40歳までに転職すべきだった」。

定年退職したら「元気なうちに、もっと頑張って働いておけばよかった」……。

とにかく人は、ひたすら後悔しながら生きているものなのです。これはもはや「"いつでももう遅い"後悔教育観」と言っても過言ではないでしょう。

では、「後悔」しないためにはどうしたらいいのでしょうか? それには、この後悔の連鎖をどこかで断ち切るしかありません。

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どうやって断ち切るか。それには、「今すぐ」⇒「後悔をしないための選択肢を選び」⇒「やる」こと。「やらなかった」という後悔を、なくしていくしかありません。

そう考えると、「〇〇歳だから、もう遅い」という言葉が、やりたくないための言い訳にしかならないことがわかりますね。これが口癖、考え癖になっている人は、延々と後悔の続く、文句の多い人生になってしまいますよ!

人間というのは、1日生きている時点で、昨日よりも成長しています。自分の能力(だと思えるもの)を日々少しずつ尖らせ、それを自分の「才能」にしていくことは、何歳からだってできるのです。――この考え方で努力を積み重ねていけば、最終的には、ものすごく大きなことも成し遂げることができます。

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